横浜地方裁判所 昭和63年(ワ)2448号 判決 1992年2月25日
甲・乙事件原告
斎藤次弘
乙事件原告
斎藤壽子
右両名訴訟代理人弁護士
吉川晋平
同
仁平信哉
甲・乙事件被告
斎藤一郎
右訴訟代理人弁護士
中久木邦宏
主文
一 甲事件被告は、甲事件原告に対し、別紙物件目録記載(一)の建物部分を明渡し、かつ、昭和六三年九月二日から右明渡済みまで一か月金二万円の割合による金員を支払え。
二 甲事件原告のその余の請求及び乙事件原告らの請求をいずれも棄却する。
三 訴訟費用は、甲・乙事件を通じ、甲・乙事件原告と甲・乙事件被告との間に生じた費用の二分の一を甲・乙事件原告の負担とし、その余は甲・乙事件被告の負担とし、乙事件原告と甲・乙事件被告との間に生じた費用は乙事件原告の負担とする。
四 この判決は、第一項に限り仮に執行することができる。
事実
第一 当事者の求めた裁判
(甲事件)
一 請求の趣旨
1 甲事件被告は、甲事件原告に対し、別紙物件目録記載(一)の建物部分を明渡し、かつ、昭和六三年九月二日から右明渡済みまで一か月金五万円の割合による金員を支払え。
2 訴訟費用は甲事件被告の負担とする。
3 仮執行宣言
二 請求の趣旨に対する答弁
1 甲事件原告の請求を棄却する。
2 訴訟費用は甲事件原告の負担とする。
(乙事件)
一 請求の趣旨
1(一) 乙事件被告は、別紙物件目録記載(二)及び(三)の各建物に立ち入ってはならない。
(二) 乙事件被告は、自ら又は代理人ないし第三者をして、乙事件原告ら及びその同居の親族に対し、別紙物件目録記載(二)及び(三)の各建物を訪問、面接、架電するなどの方法で乙事件原告らに直接交談することを強要してはならず、また、右以外の場所においてつきまとってはならない。
2 訴訟費用は乙事件被告の負担とする。
二 請求の趣旨に対する答弁
1 乙事件原告らの請求をいずれも棄却する。
2 訴訟費用は乙事件原告らの負担とする。
第二 当事者の主張
(甲事件)
一 請求原因
1 甲・乙事件原告(以下「原告次弘」という。)は、別紙物件目録記載(一)の建物部分(以下「本件建物部分」という。)を所有している。
2 甲・乙事件被告(以下「被告」という。)は、昭和六二年六月ころから本件建物部分を使用して占有している。
3 本件建物部分の賃料は一か月五万円を下らない。
4 よって、原告次弘は被告に対し、所有権に基づき本件建物部分の明渡並びに右明渡済みまで一か月金五万円の割合による賃料相当の損害金の支払を求める。
二 請求原因に対する認否
1 請求原因1の事実は認める。
2 同2の事実は、占有開始の時期の点を除き認める。被告が本件建物部分の使用を開始したのは昭和六二年七月ころである。
3 同3の事実は不知。
三 抗弁
被告は、本件建物部分を原告次弘の了解の下に無償で借り受けたものである。
四 抗弁に対する認否
否認する。
五 再抗弁
仮に、原告次弘と被告間に本件建物部分につき使用貸借が認められるとしても、
1 本件建物部分の使用につき返還の時期及び使用目的を定めていないので、原告次弘は被告に対し、昭和六三年一二月二〇日の本件口頭弁論期日において、本件建物部分の返還を請求した。
2 原告次弘は被告に対し、右口頭弁論期日において、信頼関係の破壊を理由に本件建物部分の使用貸借を解除する旨の意思表示をした。
六 再抗弁に対する認否
再抗弁1、2のうち、原告次弘主張の意思表示があったことは認め、その効果は争う。
七 再々抗弁(再抗弁1に対して)
本件建物部分を含む別紙物件目録記載(三)の建物の敷地は、原告ら及び被告の母斎藤多喜代(以下「多喜代」という。)の死亡により、被告には相続に基づく共有持分権があり、右遺産分割協議が成立するまで、本件建物部分の返還請求は権利の濫用として認められない。
八 再々抗弁に対する認否
争う。
(乙事件)
一 請求原因
1 原告次弘は別紙物件目録記載(二)の建物(以下「本件(二)の建物」という。)に、乙事件原告斎藤壽子(以下「原告壽子」という。)は別紙物件目録記載(三)の建物(以下「本件(三)の建物」という。)にそれぞれ居住している。
2 原告ら及び被告はいずれも亡斎藤昌雄・多喜代の実子であり、被告は、原告らの実弟であるが、暴力団双愛会谷戸一家塩島組上野組に属する暴力団組員で、殺人罪等で仙台刑務所、岐阜刑務所に服役し、昭和六〇年三月ころ出所した。
3 原告らは、人格権に基づき一市民として平穏な生活を享受する権利を有するところ、被告は、次に述べるとおり、昼夜を問わず原告らの居宅において大声を出して暴れたり、脅したりするため、原告ら及びその同居の親族は怯えて平穏な生活を送ることができない。
(一) 原告次弘に対する関係
(1) 被告は、昭和六〇年三月岐阜刑務所を出所後、ことあるごとに原告次弘宅を訪れ、同原告に対し、「この家には住まわせない。」、「息子や嫁は結婚させない。」等と脅迫している。
(2) 原告次弘は、被告から昭和六〇年一〇月に金一〇〇万円、昭和六一年三月に五〇〇万円を脅し取られたうえ、被告のために建物賃貸借契約の保証人になることを余儀なくされた。
(3) 被告は、昭和六二年六月ころ本件建物部分を勝手に使用し始めたうえ、原告次弘の妻斎藤美恵子(以下「美恵子」という。)に対し、「(本件建物部分)を組事務所にしてしまうぞ。」と怒鳴りつけた。
(4) 昭和六三年六月二〇日多喜代の通夜の朝、原告次弘と被告間に被告の彼女のことでもめごとがあったが、被告は、右もめごとを根に持ち、本件(三)の建物の駐車場で美恵子を待ち伏せ、同人に対し、「姉さんと孝明(原告次弘の長男)に一〇〇倍にしてかえすぞ。」と言って脅したうえ、同日夜、電話に出た美恵子に対し、「おふくろが死んでほっとしたろう。これからはほっとなんかさせないぞ。」、「おふくろの部屋を片付けておけ。俺が住むから。」、「管理人室を若い衆の事務所にするからな。」、「孝明に今年中に結婚なんかさせないぞ。」、「麻美(原告次弘の長女)が結婚するときは、相手先へ行って俺の背中の入墨を見せてやる。」などと脅し、美恵子は被告の右脅迫によってノイローゼ状態になった。
(二) 原告壽子に対する関係
(1) 被告は、昭和六二年二月中旬ころの夜、原告壽子宅を訪れ、ドアを足蹴りしながら、「殺してやる。」、「ここに居られないようにしてやる。」等と怒鳴り、急報で駆け付けた警察官を追い返したので、原告壽子は二階から居宅北側貯水槽をつたって逃げ出し、友人宅へ避難した。
(2) 原告壽子と同居している斎藤孝憲(以下「孝憲」という。)は、右事件後高校への登校を拒否するようになり、これに立腹した被告は、昭和六三年四月から約二回原告壽子宅において孝憲を殴打した。
(3) 被告は、昭和六三年六月八日午後八時三〇分ころ、原告壽子宅において、孝憲のエレキギターを見て興奮し、右ギターを折って破壊したうえ灰皿を投げて暴れた。原告壽子が被告の隙を見てドアに鍵を掛け、ドアチェーンをしたところ、被告は、激昂して怒鳴りながら管理人室から合鍵を持ってきて、ドアチェーンを外そうとし、被告輩下の若者は右逃走経路の北側貯水槽に待機していた。原告壽子は、孝憲と死を決意して鍵を開け、被告の隙に乗じて逃走した。
(4) 原告壽子と孝憲は、被告に対して怯えた毎日を過ごすようになり、部屋の電灯も暗くして生活したが、被告は多喜代の死亡後ますます粗暴に振る舞い、同年六月二七日の深夜原告壽子は、被告から、「殺してやる。」という電話を受け、寝ていた孝憲を起こして逃げ出した。
(5) 右の生活状態から、孝憲は、ノイローゼ状態になり、昭和六三年七月三日逃げ回る生活は嫌だという書置きをして家出をし、同年九月一日高校を退学した。
4 よって、原告らは被告に対し、人格権に基づき本件(二)及び(三)の各建物の立入りの差止め等を求める。
二 本案前の答弁並びに請求原因に対する認否
1 本案前の抗弁
原告らの乙事件請求の趣旨第二項は、原告ら及び被告以外の第三者をも当事者としているところ、右第三者の特定がなされていないので当事者適格を欠き不適法である。
2 請求原因に対する認否
(一) 請求原因1、2の各事実は認める。
(二) 同3について
(1) 同3の冒頭の事実は否認し、人格権の主張は争う。
(2) 同3(一)について
① (1)の事実のうち、被告が原告次弘主張のころ岐阜刑務所を出所したことは認め、その余は否認する。
② (2)の事実のうち、原告次弘主張の金員の授受があったこと、同原告が保証人になったことは認め、その余は否認する。
右各金員は被告が原告次弘から借用したもので、脅迫によるものではない。
③ (3)の事実のうち、被告が本件建物部分を使用していることは認め、その余は否認する。
④ (4)の事実は否認する。
(3) 同3(二)について
① (1)の事実は否認する。
② (2)の事実は認める。
被告と孝憲とは父子関係にあるところ、被告は孝憲に高校を卒業させたい一心から殴打したものである。
③ (3)、(4)の事実は否認する。
④ (4)の事実は不知。
第三 証拠<省略>
理由
第一甲事件について
一請求原因1の事実は当事者間に争いがない。
二同2の事実は、占有開始の時期の点を除き当事者間に争いがなく、原本の存在、<書証番号略>によれば被告は昭和六二年六月七日ころから本件建物部分において、自動車及びコーヒー豆の輸入、車検の仲介等の営業を開始して本件建物部分を使用していることが認められる。
三そこで、抗弁につき検討する。
被告は、本件建物部分を原告次弘から使用貸借した旨主張するが、これに添う<書証番号略>並びに被告本人の供述は容易に信用することができず、かえって、前記二認定の事実に<書証番号略>並びに原告次弘本人の供述によれば、被告は、昭和六二年六月七日ころ、本件建物部分である管理事務所にいた原告次弘の妻美恵子に対し、「今日から管理事務所は僕が使うから。」と言って、突然のことで何も言えない美恵子から鍵を取り上げ、本件建物部分の使用を開始したこと、原告次弘は、被告に対し本件建物部分を貸与する意思がなかったので、黙認した美恵子に文句を述べ、被告を追い出そうとしたが、被告と喧嘩になることをおそれた美恵子に制止されたこと、しかし、原告次弘は被告の本件建物部分の使用を認めたわけではないことが認められ、他に被告主張の抗弁を認めるに足りる証拠はない。
したがって、被告主張の抗弁は理由がない。
四被告は原告次弘に対し本件建物部分の不法占有につき損害倍賞義務があるところ、本件建物部分の賃料が一か月金五万円以上である旨の原告次弘の主張はこれを認めるに足りる証拠はなく、<書証番号略>並びに原告次弘本人の供述によれば、本件建物部分は、住宅金融公庫との約定で本件(三)の建物の建築に際し管理事務所としての設置を義務づけられていたにすぎないこと、被告の本件建物部分の使用によって管理業務に直接支障をきたした形跡は窺えないこと、原告らの被告に対する仮処分決定後、被告は本件建物部分の、使用を自重していることが認められること等の事実に本件(三)の建物の家屋課税台帳を総合して、被告の本件建物部分使用による原告次弘の損害として一か月金二万円とするのが相当である。
第二乙事件について
一本案前の申立てについて
当事者適格とは、訴訟物たる特定の権利または法律関係に関し、当事者として訴訟を追行し裁判による解決を求めうる資格であるところ、本件(乙事件)請求の訴訟物は原告らの人格権に基づく差止請求権であり、原告らの平穏な生活が被告によって侵害されているとするものであって、当該請求の相手方は当然被告となり、侵害の方法について代理人等を使用することを禁止するもので、その名宛人も被告自身である。また、原告らについても原告らの親族に対する侵害は原告自身に向けられた侵害として、保護されるべき法的利益は原告らに帰属するものであることはいうまでもない。
したがって、当事者適格に欠けるところはない。
二本案について
1 請求原因1、2の各事実は当事者間に争いがない。
2 当事者間に争いのない事実に<書証番号略>、並びに原告ら及び被告(ただし、後記信用しない部分を除く。)各本人の各供述を総合すると、次の事実が認められる。
(一) 被告は、短気で粗暴な性格で、未成年のころ喧嘩による傷害事件で少年鑑別所に三回入院し、二七歳のとき暴力団の組員となり、成年後の前科は五、六件あり、うち傷害事件で三回服役したほか、昭和四五年ころ殺人罪で懲役一〇年の宣告を受けたが、その執行停止中に暴力団組長に対する殺人教唆罪で再度服役し、昭和六〇年三月岐阜刑務所を仮出所し、その後暴力団双愛会谷戸一家塩島組の幹部で代行補佐を努めている。
原告ら及び被告はかつては仲の良い兄弟姉妹でり、被告は死亡した兄光弘と共に原告次弘と組んで大喧嘩をしたこともあって、被告は、幼少時から長兄原告次弘に憧れの気持ちを抱いていたが、その後自分は中学校しか出ていないのに原告次弘は大学まで就学し、日本に帰化したうえ亡父の会社を経営していること等から、潜在的に自分が原告次弘の犠牲になったものと思い込み、原告次弘が自己の面倒をみてくれるのが当然であると考えるようになった。
(二) 原告次弘は、昭和四八年三月から父昌雄の跡を継いで有限会社斎藤工務店を経営し、昭和五八年五月に本件(二)の建物を建築して自宅とし、同年一一月には本件(三)の建物を建築して賃貸マンションとし、同建物二〇一号室に原告壽子が孝憲と共に居住している。
原告次弘は被告の仮出所に際し身元引受人になり、被告は本件(二)の建物に約一年間同居した。
(三) 原告次弘は、被告に対し、昭和六〇年一〇月に被告経営のマージャン屋の設備費用として金一〇〇万円を、昭和六一年三月に被告が営業を始めるバー「D」の開店資金として金五〇〇万円をそれぞれ都合した。原告次弘の右出費は直接間接被告の脅迫によるものであったが、右ダークホースの店舗賃貸借については、原告壽子が借主となり、原告次弘が保証人となっている。
(四) 被告は、昭和六二年六月七日ころから本件建物部分を使用し始めたが、その際美恵子は被告から、「邪魔をするようなことをすると、組の事務所にしてしまうぞ。」と脅かされている。
(五) 孝憲は、昭和四六年三月一〇日被告と田枝悦子との間に出生(ただし、被告は認知していない。)したが、原告ら及び被告の両親昌雄・多喜代夫婦の養子となり、生後間もなく原告壽子が引き取り自分の子供として養育してきた。
被告は、仮出所後、孝憲に自己が実の父親であることを告げ、孝憲の高校にも父親として参観していたが、孝憲が学校に登校しなかったりすると、孝憲を殴打し、時には壽子にも暴力を振るうことがあった。
被告は、昭和六二年二月中旬ころ、原告壽子宅に怒鳴り込み、ドアを蹴飛ばし、「殺してやる。」、「ここにおられないようにしてやる。」等とわめき散らし、パトカーが駆け付けたことがあった。
(六) 被告は、孝憲が高校への登校を拒否するようになったことに立腹し、昭和六三年四月ころ壽子宅において、孝憲を殴打し、同年六月八日には孝憲がエレキギターを持って帰宅したことに興奮し、右ギターを折って破壊したうえ孝憲を殴打したことがあるが、これは壽子から孝憲の登校拒否について相談を受けていたためであり、被告としては孝憲に高校は卒業してほしいという期待があった。
このようなことから壽子と孝憲は怯えた毎日を過ごすようになり、部屋の電灯も暗くして生活していたが、孝憲は、昭和六三年七月ころ逃げ回る生活は嫌だという趣旨の書置きを残して家出をし、間もなく高校を退学した。
(七) 原告ら及び被告の母多喜代は昭和六三年六月一九日死亡したが、被告は、原告次弘が、同日、多喜代の葬儀の準備で居合わせた被告の内妻会沢真由美に席を外すよう告げたことに立腹し、原告次弘に文句を言い、同原告が謝罪したが、被告は、「これで済んだと思うなよ。」と捨て台詞をはいた。被告はこれで収まらず、翌二〇日の朝、美恵子に対し、「姉さんと孝明に一〇〇倍にしてかえすぞ。」と因縁をつけ、同日夜には電話で、「おふくろが死んでほっとしたろう。これからはほっとなんかさせないぞ。」、「おふくろの部屋を片付けておけ。俺が住むから。」、「管理人室を若い衆の事務所にするからな。」、「孝明に今年中に結婚なんかさせないぞ。」、「麻美も結婚できないようにしてやるから。」などと言って脅した。
そのころ、美恵子は、被告のいない所へ行って平和な生活暮らしをしたいとの思いを原告次弘に訴えていた。
(八) なお、被告の原告らに対する脅迫行為が母多喜代の死亡後激しくなったのは、服役中に父昌雄が死亡しており、多喜代の死に直面したことにより、被告は過度の興奮状態にあったことが窺える。
(九) 原告らは、被告を相手方として本件(二)、(三)の各建物への立入り等を禁止する仮処分申請をし、昭和六三年七月二〇日その旨の仮処分決定がなされた。
以上の各事実が認められ、<書証番号略>並びに被告本人の供述中、右認定に反する供述部分は前掲他の各証拠に照らし容易に信用することができず、他に右認定を左右するに足りる証拠はない。
右認定の事実によれば、被告は、その粗暴な性格と暴力団を背景に自己中心的に振る舞ったこと、そのため原告らは、被告の脅迫や暴力によって生命、身体に何時いかなる危害を加えられるかも知れないとの不安に怯やかされ、平穏な日常生活を営むことが困難な状況であったことが認められ、被告の暴行・脅迫が専ら親族に向けられた本件であっても、到底許されないことはいうまでもない。
しかし、他方被告の所為が多分に親族に対する甘えから出たものであることも否定できないこと、また、被告の暴行・脅迫がすべて理由のないものではなく、特に孝憲に対するものは、懲戒権の濫用であるとしても、父親として高校までは終了させたいとの切望から暴力を振るったものであること(孝憲の登校拒否は必ずしも被告に起因するものではないことが窺える。)、自業自得とはいえ、被告は、仮出所後母多喜代の入院・死亡に遭遇し、興奮状態にあったことも否めないこと、被告は前記仮処分を契機に本件建物の立入り及び原告らに対する言動を自重していること、本件和解勧試において被告は原告らの居宅に無用に立ち入らないことを誓約し、原告らとの和睦を希望していること等の事情も認められる。
右諸事情に原告ら及び被告がかつては啀み合いのない兄姉弟の関係であったこと、孝憲が被告の実子であること等を考慮すると、原告らと被告との関係は各自の自覚に委ねるのが相当であり、当事者間の関係を完全に断ち切ることを打開策とする原告らの本訴請求は、当を得たものではなく、また、本件における当事者関係にあっては不能を強いるものである。
したがって、原告らの本訴請求は失当というほかない。
第三結論
以上の次第であるから、甲事件については原告次弘の請求中被告に対し本件建物部分の明渡並びに昭和六三年九月二日から右明渡済みまで一か月金二万円の割合による損害金の支払を求める限度で理由があるからこれを認容し、その余は失当であるから棄却し、乙事件については原告らの請求は理由がないからこれを棄却することとし、訴訟費用の負担について民訴法八九条、九二条、九三条を、仮執行宣言について同法一九六条をそれぞれ適用して、主文のとおり判決する。
(裁判官羽田弘)
別紙物件目録<省略>
別紙一階平面図<省略>